要旨
六朝の古都も十朝の都会も天下の文化の中心も、すべて彼のことを指しており、彼は歴史が悠久で、昔の趣がまだ残っている南京である。この地に足を踏み入れると、千年の名城の優雅な雰囲気を感じられる。一歩一歩ずつこの名城の千年の物語である。しかし最も代表的なのは、やはり街中を歩き、世間話を聞き、子供がお互いに追いかけて遊び、この都市の最も深い物語を聞くことである。
本文
明朝の太祖朱元璋は都を南京に定めた後、旧市街を三つの部分に分けた。そのうち、夫子廟を中心とする南部の市街地は最も人口が密集している居住地であるため「老城南」と呼ばれ、南京の商業が最も発達した地域でもある。「北京胡同、南京巷」ということわざがあるように、一本一本の巷は密接につながっていて、静かに老城南の千年の春秋を語っている。
老門東
中華門を中心に明城壁に沿って区分され、東の地区は「門東」と呼ばれた。今、伝統的な中国式木造建築を伝統的な様式で復元し、老城南の姿を再現した門東歴史文化街区(老門東)がひっそりと登場した。「老門東」の牌坊を入ると、さほど長くない石畳の道が見え、両側には白い壁と黒い瓦の建造物群と軒を並べている商店がある。老門東は繁華街にあるが、静かさと芸術性を欠けていない。
剪子巷に隠れている金陵美術館は江南の巷を芸術的に抽象化し、「斗」の形にデザインし、全体的に産業遺産の旧態を維持している。館内には当代の金陵画家の作品を主に展示し、金陵画派の独特な魅力を表現している。駿恵書屋は老門東で最初に復元された古い建物で、老城南の旧宅を改造して取り壊された多くの木彫りの古い部材はここで新しく利用された。この時代を超えた古い建物は重厚でありながらも霊気に満ちていて、入居した南京の有名な先鋒書店は更に新しい時代の活力をもたらした。
ここにはまだ多くの南京出身の高齢者の生活の記憶がある。例えば、子供のころに街中を走って自慢のように手に持った金色の飴細工、あるいは色とりどりのしん粉細工を待ちわびる様子、また1本の巷で全部味わうことができる南京のグルメなど。
老門西
老門東と中華門を隔てて向かい合うところを老門西という。同じく旧市街であるが、老門西は今に至っても改造されていない。庶民の生活を展示した家屋、巷、歴史的な跡を持った民風民俗、沈香のような多くの老門西の巷、青いレンガと黒い瓦、連子と庇に散らばっている。そして最も古い南京の生き生きとした歴史を思い出せる高齢者も、大部分は老門西に住んでいる。飲馬巷から老門西に入り、奥深い巷を歩いて空を見上げると、縦横無尽の電線が走っている。交錯した電線は空を覆っていたが、近所間の暖かさを受け止め、古い南京の記憶を留めることもできた。
南京暁書館は明城壁と秦淮河を背にして、老門西に読書の桃源郷を開拓した。暁書館は公益的な文化施設で、毎日定量的な予約読者しか受け付けていなく、館内も静かである。本は貸し出しできないので、ここに来た読者はよく読むと一日過ぎてしまった。より快適で人に優しい読書環境を提供するために、照明はすべて丹念にデザインされ、すべてのものがちょうど良い。暁書館は階段席のような芸術的な感覚と機能性を併せ持ったエリアも設けており、児童絵本コーナーも設け、訪れた子どもにも読書の楽園を提供している。
煕南里
伝統的な商圏の商業化や高層ビルの林立に比べ、熙南里歴史文化街区のほうが静かである。老門東と老門西とは違い、熙南里街区の主体は甘熙故居をめぐり、一色の黒い瓦、白い壁、馬頭壁(屋根の傾斜に沿って階段の形をした切妻壁)、煉瓦彫刻、木彫と石彫刻装飾、高い壁、吹き抜け、大広間が部屋の古めかしい特徴を強調している。
甘熙故居は中国既存の面積が最も広く、保存状態が最も良好な庶民の邸宅である。建築のレイアウトは厳格に封建社会の宗法観念と家族制度によって配置された。江南の民家の特徴もあり、北方の建物の周りに廊下がある建築構造も参考にして、「九十九間半」(実際は162間)の建築群を形成している。
今は邸内に南京市民俗博物館が建てられ、一般公開されている。ここでは南京地方の特色のある民俗文化、伝統的な風俗習慣と各種の民間工芸を体験することができており、多くの民間の手芸職人が現場で南京の特色に富む剪紙(切り絵)、花灯(提灯)、凧、絨花(ベルベットフラワー)を作っている。祝祭日になると、各種の職人が現場で各種の工芸品制作パフォーマンスを行う。
老城南一帯の周囲はすでに摩天楼に包まれているが、自身はずっと清朝末期の遺風を持ち、一路青いレンガ、赤い瓦、回廊、掛落があり、風雅で一風変わっている。繁華街の中に身を置き、片隅の桃源郷のように、静かさを守っている。